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ふれあいネットワーク 社会福祉法人 全国社会福祉協議会

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福祉のガイド

全国各地の福祉の実践事例(見る・わかる)

被災地における活動~一人ひとりに寄り添い、復興に向けて支援

災害が発生した地域では、災害ボランティアセンターの設置や福祉施設での高齢者や障害者の受入れ等、福祉関係者が専門性を生かして様々な活動を行っています。また、東日本大震災の被災地では、一人ひとりに寄り添った、継続的な支援が行われています。

避難先での暮らしを支える(西郷(にしごう)村社協【福島県】)

福島県では、原発事故により住み慣れた地域を離れ、避難生活を余儀なくされる人たちが数多くいます。長期化する避難生活の中で、いかに孤立を防ぎ、どのように支えるのか。福島県西郷村では、社協、民生委員・児童委員、生活支援相談員等が連携してきめ細かな支援活動が展開されています。

生活支援相談員の調査から見えてきた「孤独感・孤立」

福島県社協が2012年2月に実施した「生活支援相談員活動から見る避難住民の実態調査」によれば、借り上げ住宅に暮らす被災者の場合、特に「孤独感・孤立」が不安要因であるとの回答が多く寄せられました。仮設住宅とは異なり、近くに知り合いもいない、気候も異なる地域での慣れない暮らしで、仕事もなく外に出る機会がないまま孤立感を募らせている様子が浮かび上がっています。

「同じ市町村の人と会いたい」という声にこたえて

こうした被災者の不安にいち早く反応した西郷村では、去る3月4日に、村内の借り上げ住宅居住者の交流会が開催されました。西郷村は、栃木県との県境に位置する人口約19000人の村。新幹線の停車する新白河駅や東北自動車道の白河インターチェンジが村域内にあるなど、交通の便も良い地域です。ここには、浪江町、富岡町など9市町村から110世帯が避難し、借り上げ住宅に生活しています。

交流会の発端は、村内で被災者への訪問活動を行う生活支援相談員が、「同じ市町村の人と会いたい」というニーズをキャッチしてきたことです。借り上げ住宅に暮らす被災者は、村内でどこに同じ市町村の人が暮らしているかという情報もなく、慣れない土地での生活で孤立感を深めていました。

当初は出身市町村ごとに交流会を開くことも検討したのですが、人数が少ないこともあり、合同での交流会となりました。生活支援相談員を中心に、村内の借り上げ住宅110世帯を全戸訪問し、交流会の案内と返信はがきを手渡した結果、9市町村、43世帯80名と予想を超える参加者で、「同郷の人と会いたい」という被災者の思いの強さを感じさせるものでした。当日、参加者は市町村ごとのテーブルに着き、互いの情報を交換し、これまでの避難生活を振り返る姿が見られました。

交流会の会場。テーブルには町の名前が書かれた紙が置かれている。

民生委員との顔つなぎの場にも

また、西郷村社協では、被災者の立場に寄り添った支援を重視してきました。当日、参加者の席に用意された名札には、当該地域を担当する民生委員の名前が書かれており、交流会にはほとんどの民生委員が参加して、直接被災者とあいさつをして顔つなぎをしている様子が見られました。被災者からの相談を待つだけではなく、一歩踏み込んで地域とのつながりをつくり、少しでも避難先での生活を支えたいという西郷村の人々の思いが伝わります。震災から1年を経、4月を迎える中、被災者の気持ちや生活も少しずつ変化していくことが予想されます。西郷村では、被災者をしっかりと地域の中に受け入れ、今後も支援を続けていきたいと考えています。

(2012年3月30日)

山形での安心な暮らしを支えたい~生活支援相談員によるサポート(山形県 山形市社会福祉協議会)

生活支援相談員5名体制で活動

全国で避難者が最も多い山形県、その中でも山形市は約1,800の避難世帯が暮らしています。山形県では国・県の補助事業を受けて各市町村に生活支援相談員を配置しており、山形市社協においても平成23年度から生活支援相談員を雇用しています。

平成24年度からは5名体制となり、個別訪問やサロン(お茶のみ、交流の場)などを中心に活動しています。また、生活支援相談員の内、2名は福島県からの避難者であり、同じ被災者の立場で話ができることも大きな特徴となっています。

民生委員との連携、個別の相談への支援

生活支援相談員の個別訪問の対象は、市内に避難してきた約1,800世帯の内、県の調査によって同意が得られた約400世帯で、個別訪問開始にあたっては、地区毎の民生委員の会議に出席して生活支援相談員の役割等を説明し、協力依頼をすすめてきました。

元々、民生委員が避難者情報を市から提供され支援をしてきたこともあり、委員と相談員の連携が重要なポイントで、現在では民生委員が中心に避難者が集るサロン立ち上げの地域も現れ、地域に溶け込めるよう支援し、同じ被災者同士気兼ねなく本音を出し合える場も必要になっています。

また、個別の相談を専門機関につなぐ際には生活支援相談員が橋渡し役として役割を果たしており、母子で山形に避難してきた世帯で母親が精神的に不安定となり、児童相談所と連携して関わった事例もあります。

生活支援相談員だより“めんごい”

相談員が避難者に少しでも役立つ情報をと、個別訪問の際に手渡すのが「山形市避難者生活支援相談員だより“めんごい”」で、月1回のペースで作成し、山形の郷土料理やお祭りなどの行事、困った時の相談先やサービスを解説し、市からのダイレクトメールにも同封してもらっています。
「山形市避難者生活支援相談員だより“めんごい”」の写真

避難者向けの高校進学相談会を開催

生活支援相談員や山形市社協の担当者が強く感じていることは、避難者の中でも様々な立場の違いによって生じている温度差であり、一人ひとりが置かれている状況や思いに沿った支援が求められています。

その一つとして山形市社協が実施したのが、中学生の子どもがいる避難者向けの進学相談会で、一般的な進学相談や学校説明はそれぞれの学校で行われますが、県外からの避難者は山形の高校について知識がなく、困っているという声に応えたものです。

また、進学のタイミングで転居を検討する世帯もありより詳しい情報が求められ、進学相談会には山形の高校からだけではなく、福島県の高校関係者も参加してもらい、少人数で踏み込んだ情報交換ができたと好評で、山形市社協では今後も避難者のニーズへの取り組みを続けていきます。

(2013年8月28日)

被災地に元気と活力を取り戻すために~「釜石市民元気応援プロジェクト」(東京都 荒川区社会福祉協議会)

友好交流都市の釜石市との関わり

荒川区社協では、東日本大震災発災直後から被災地支援の募金活動を開始するとともに、友好交流都市である釜石市への支援を継続的に行い、3月下旬には釜石市の避難所で救援物資が必要との情報に、以降6回救援物資を荒川区民からの募集や支援寄附金で購入して送りました。

また、荒川区内で被災地特産品の即売会やチャリティコンサートを企画し、釜石市へのボランティアバスも運行させ、仮設住宅入居者の交流会を支援するボランティア活動を行いました。

「釜石市民元気応援プロジェクト」の開始

こうした被災者生活再建の支援に加え、荒川区社協では友好交流都市・釜石市の復興には市民が文化・スポーツ・コミュニティ活動を通し、元気と活力を取り戻すことが重要と考えました。

そこで平成24年1月20日から開始されたのが『釜石市民元気応援プロジェクト』であり、今釜石市で応援が必要とされている、子どもたちや、若者、市民の文化・スポーツ・コミュニティ活動の5つを具体的な応援プログラムに掲げ、募金活動に取り組みました。

  1. 応援プログラム1 「釜石虎舞」を復活させよう!
  2. 応援プログラム2 伝統文化子ども教室の再開を願って! 
  3. 応援プログラム3 釜石はまゆりトライアスロン国際大会をもう一度!
  4. 応援プログラム4 市民芸術文化祭で市民に心の豊かさを!
  5. 応援プログラム5 唐丹小・鵜住居小・釜石東中に運動会用具をおくろう!

目標額の約4倍にも達した募金

当初は、荒川区民一万人のワンコイン(500円)の協力により、500万円を釜石市民に届けようという目標でしたが、予想以上に運動の輪が広がり協力者数約3万5千人、募金金額は2千万円を超えました。「釜石虎舞」は、数百年にもわたり受け継がれてきた釜石の郷土芸能で、プロジェクトでは、津波で用具がすべて流された地域の虎舞を支援し、平成24年5月には復活した「虎舞」が被災住居跡で奉納され、12月に行われた区民ミュージカルでも披露され、区民の喝采を得ました。

目標の4倍にも達する募金が集まり、区民に取り組みが広がった理由について、荒川区社協は、支援する対象、目標を具体的に示したこと、区内の様々な団体・個人への呼びかけを幅広く行ったこと、その経過報告や成果をきちんと報告してきたことが重要だったのではと話します。
「虎舞」の様子

荒川区内の避難者への支援

釜石市への継続的支援をと、荒川区社協では区内避難約45世帯への支援にも取り組み、東京都の孤立防止事業指定を受け、戸別訪問やミニサロン開催を中心の活動と、自転車必要との声に区自転車商協同組合に呼びかけリサイクル自転車確保し、個別ニーズ解決や支援にもつなげています。
20人ほどのミニサロンの様子

釜石市・荒川区社協相互の応援協定を締結

こうした継続的な関わりを通して信頼関係を強めてきた釜石市社協と荒川区社協は、平成24年6月に災害時相互応援協定を結びましたが、協定は、災害時において自治体間の相互応援に加えて、社協においてもいち早く協力態勢がとれるようにするためのものです。

この背景には東日本大震災の体験があり、荒川区社協では当初は釜石市行政からの要請で救援物資を送っていましたが、釜石市社協と連携がとれるようになったことでよりきめ細かく被災者が必要としている情報が入り、効果的に被災地支援が行えるようになったのです。

荒川区社協は協定について「社協と市民(区民)」の協定です。」と話し、社協を通じて市民同士がつながり、支援の輪が広がっています。
釜石市・荒川区社協相互の応援協定の締結の様子

大災害時に備え都内城北ブロックでの協力体制

平成25年9月3日、荒川区・サンパール荒川において、東京都内の城北ブロック(文京区、台東区、北区、荒川区)の社協と北区NPO・ボランティアぷらざの5団体で、災害ボランティアセンター相互協力協定を締結しました。

都直下型地震等により東京23区が大災害におそわれた場合、城北4区においては、建物の倒壊や火災による被害、人的な被害、ライフラインの途絶による生活基盤の喪失など、多方面にきわめて大きな被害が想定されています。

各区災害ボランティアセンターは、各自治体と連携を図って国内外のボランティア、NPOやNGOなど様々な団体から寄せられる支援を、救援物資の配付、避難所の運営支援、被災者から寄せられる様々な支援ニーズにあわせ、被災者の生活環境の改善や復旧に向けた取り組み動をすすめることになりますが、市街地が連続する23区域においては、周辺の災害ボランティアセンターとの連携も重要な課題となります。

そのため、城北4区の災害ボランティアセンターが、平時からの事前の取り組みにおいて様々な連携を図るとともに、迅速かつ的確な対応が求められる大災害発生時において、情報の交換や活動協力、更にサポートの遅れがちな区境地域でのボランティア派遣の協力をすすめるため、相互協力協定が締結されました。
相互協力協定締結式の様子

(2013年8月28日)

「私たちの3.11 豊中に避難してきた人たちの東日本大震災」(大阪府 豊中市社会福祉協議会)

被災地支援の開始

豊中市社協では、阪神・淡路大震災を経験したことから、3.11の直後からいち早く街頭募金を開始し、被災地と連携して救援物資を送る、ボランティアバスの運行などの活動を進めてきました。

また、復興支援バザーとして被災地物産展、津波に見舞われた老人ホームから施設長を招いてのシンポジウム、各地区の地域福祉活動支援センターでの東日本大震災パネル展等、様々なイベントも開催してきました。

生活必需品を届ける様子
平成23年3月 豊中市営住宅に被災者を受け入れ。
すぐに生活ができるよう生活必需品を届ける

被災者の体験手記集「私たちの3.11 豊中に避難してきた人たちの東日本大震災」

同時に力を入れてきたのが、豊中市に避難されてきた被災者への支援で、「豊中に避難された日から孤立させてはいけない」という思いから、被災者に生活情報を届けたり、救援物資を届ける他、被災者同士の交流会や箕面温泉でのリフレッシュ交流を行いました。

そして、被災者交流会を重ねる中で、被災者の体験を記録に残し、多くの人に役立てようと、手記をまとめることになり、このインタビューには大阪府立大学の小野達也准教授はじめ学生も協力し、10名のインタビューを収めた冊子が完成しました。

体験手記集の表紙
CLC(NPO法人全国コミュニティライフサポートセンター)より刊行(定価838円税込)
新規ウインドウで開きます。CLC オンラインショップ「私たちの3.11 豊中に避難してきた人たちの東日本大震災」

避難された人を孤立させないために

「避難された人を孤立させてはいけない」、阪神・淡路大震災の際に避難所から仮設住宅に移った際にコミュニティを喪失し孤立化した多くの人達との関わりが、豊中市社協にありました。

その思いは強く、引き続き豊中市に避難した人たちへの関わりを持ち、その体験を豊中市の安心・安全なまちづくりに生かすことが3.11の大きな犠牲に応える大切なことだと考えています。
高校生たちと地域住民たちが向かい合った写真
平成25年8月 豊中市内の高校生を対象にボランティアバスを運行。
宮城県沿岸部でのボランティア活動と仮設住宅の住民に聞き取り活動を実施

(2013年8月28日)

市民同士のつながりに向けて~南相馬市・土日お茶会サロンボランティア、避難者の会「アスチカ」とひろボラネット(広島県 広島市社会福祉協議会)

広島市被災者支援ボランティア本部の設置

広島市では、東日本大震災以前から災害時に備えた平素のネットワークとして、行政や社協、民生委員児童委員協議会、日赤、NPOセンター、青年会議所等とともに、災害ボランティア活動連絡調整会議を組織化していました。

そのネットワークを生かし、3.11の直後に会議を開催。3月17日には同会議メンバーで構成する「広島市被災者支援ボランティア本部」が開設されたのです。広島市社協はその開設拠点として中心的な役割を発揮しています。

南相馬市社協との連携

同本部では、被災地のボランティア募集情報を収集し提供するとともに、広島市民のボランティア登録を受け付け活動紹介・調整を行い、まず宮城県や岩手県を中心に派遣してきました。

活動を続ける中で福島県・南相馬市から広島市内に避難した男性を介し、南相馬市社協と連携が生まれ、2011年9月から南相馬市の仮設住宅で土日お茶会サロンの開催を続けています。

仮設住宅での土日お茶会サロン

サロンボランティアはボランティアセンターで募集し、現在は参加費バス代2万5千円(学生2万円)で毎回約25名定員とし、金曜夜広島を出発し土日は2チームでお茶会サロンを開催、月曜朝広島に到着するスケジュールで、事前に沿岸部を視察し仮設で出会う人たちに想いを寄せます。

広島風お好み焼きを作り食べていただき、ボランティアの特技を生かし折紙や手芸工作などものづくりやレクリエーションなどを行いますが、土日開催は普段地元で開かれる平日サロンに参加しにくい子どもや男性に、広島から来たということで関心持ってもらい、参加を呼びかけるねらいがあります。
「広島お茶会サロン」ののれんが掛かった集会所入り口の写真

ひろしま避難者の会「アスチカ」と「ひろボラネット」

市社協では市内に避難した方々の当事者組織づくりもすすめ、市社協主催交流会で知り合った避難者が平成24年10月「ひろしま避難者の会『アスチカ』」(アスチカ=「明日へすすむ力」)を結成し、現在約100世帯会員で「交流カフェ」や勉強会・相談会などの活動が行われています。

また、同じく避難者交流会で活動したボランティアを中心に「ひろボラネット」も結成され、「アスチカ」の活動をバックアップするとともに、広島から「忘れない」活動を展開しています。
30人ほどの集合写真

市民同士のつながりへ

土日お茶会サロンで繰り返し訪れるうちに、仮設住宅の方々と顔のつながりもでき、「まるで親戚ができたよう!」というボランティアや、仮設住宅住民の手作り品を広島のイベントでバザー販売し購入者に記載してもらったメッセージカードを制作者に届けることで交流を生み出しているボランティアもいます。

より市民が主体となる活動にむけて、平成25年4月には南相馬支援を続けているボランティア有志により、「南相馬ボラバス応援隊~ひろしまからふくしまへ」が結成され、8月から再開したサロン活動やバザーを主体的に実施・運営しています。

また、「高校生災害復興支援ボランティア派遣隊“まかせんさい”」も、高校教諭の呼びかけにより結成され、平成25年度から福島支援の活動を始めています。

さらに、広島で活動するさまざまな団体によびかけた「3.11東日本大震災を忘れない追悼の集い広島実行委員会」の組織化にも社協は関わり、「追悼の集い」や「被災地を忘れないプロジェクト第一弾~福島の今を知る 小原一真写真展&講演会 3.11 見えない風景」が開催されています。

※ 各団体のホームページやFacebookもご参照ください。

(2013年8月28日)

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