更別村共同募金委員会が、令和元年12月1日(日)~20日(金)にかけて村内の各世帯・職場にお願いし実施しました歳末たすけあい運動について、下記のとおりご報告いたします。
【募金総額】 844,707円
全額が更別村社会福祉協議会に助成され、村内で暮らす99世帯へ、計990,000円が歳末義援金として年内に届けられました。(不足分は社会福祉協議会への寄付金を活用させていただきました)
【義援金お届け先内訳】
・長期在宅療養者 5名
・重度心身障害者 14名
・高齢者等世帯 6世帯
・高齢者一人世帯 56世帯
・母子父子世帯 12世帯
・寡婦寡夫世帯 1世帯
・その他要援護世帯 5世帯
以上99件へ、それぞれどんぐり商品券10,000円をお届けしました。
多くのご協力、誠にありがとうございました。
歳末たすけあい募金は、村内で暮らす生活環境の恵まれない方に、明るい年越しを迎えていただけるよう、歳末義援金をお届けする運動です。
◆歳末たすけあい運動の成り立ち
1906(明治39)年、救世軍の山室軍平中将が「日露戦役中は、前線の兵士に慰問袋を送り、戦勝の今は貧乏と戦う貧困家庭を慰問激励しよう」と提唱したのが、歳末たすけあい運動の起こりと言われています。それに応じた毎日新聞(注・現在の毎日新聞とは異なる)が、紙面を通じて同情金を募集し、一般の人々に呼びかけました。その後、昭和初期の世界的な不況が契機となって、全国各地に方面事業助成会の主催する歳末同情週間が広まりました。この寄付金で、気の毒な人たちなどに餅などが配られましたが、戦争が激化するに従い、この募金は中止されました。
戦後、混乱した社会経済状態の中で、戦災者、引揚者、傷痍軍人、失業者など、助けを必要とする多くの人々がおり、その日常生活は非常に悲惨でした。このため、政府の提唱で、「国民たすけあう運動」を展開しようという計画が進められました。また、全日本民生委員連盟でも、「歳末同情運動」を計画しました。
しかし、同時期に共同募金運動の計画が進められており、厚生省の調整のもとに、「共同募金」としてまとめられ、「国民たすけあい共同募金運動」として、共同募金が始まりました。この動きとともに、共同募金とは別に、再び歳末同情品を募集する動きが各地で自然に起きてきました。これが、地域歳末たすけあいの起こりです。その後、民生委員・児童委員協議会が主催する歳末たすけあい運動として発展していきました。全国各地で、歳末時期に、生活相談、健康相談、就職斡旋、生活困難者への慰問・激励など、幅広い活動が行われました。
1959(昭和34)年、歳末たすけあい募金が、共同募金の一環となり、歳末たすけあい運動の内、「寄付者からの寄付金や品物」に関し、共同募金として、各都道府県や市町村の共同募金会(支会分会)が取り扱うことになりました。
リンク:http://www.akaihane-hokkaido.jp/akaihane/akaihane_saimatsu.html