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福祉のひとに聞く【プロフェッショナルに聞く】

人が人として暮らし続ける「ノーマリゼーション」の実現を目指して 社会福祉法人東翔会 グループホーム

  • 1990年  医療法人 東翔会 東原整形外科病院看護部長
  • 1994年  特別養護老人ホーム"たいめい苑"看護・介護部長
  • 1996年  デンマーク日欧文化交流学院にて福祉を学ぶ
  • 2001年  社会福祉法人東翔会 社会福祉法人東翔会 グループホーム"ふぁみりえ"ホーム長

「手に職をつけなくては」というとても現実的な理由から、高校卒業後の進路として看護学校を選ぶ。卒業後は北九州の病院に就職。急性期医療の最前線ともいえる手術室勤務を自ら希望し、看護の基礎と原則を学ぶ。その後地元に戻り、自治体病院で看護師としてのキャリアを積む。1990年、地域密着型医療を目指す現在の医療法人からの誘いを受け、新しく開設された整形外科病院の総婦長として着任。法人が特別養護老人ホームを設立したことから、その運営、人材教育など、高齢者福祉に携わる。理想と現実のギャップに直面していた頃、デンマークの福祉の思想に出会い、大いに共感。1996年、機会を得て、3カ月間の研修を受けるためにデンマークに赴く。帰国後は、そのノウハウをいかしたグループホームの設立・運営などを手がける傍ら、研修生の受け入れなどでデンマークとの交流を続けている。

キャリアステップ

大切なのは、患者さんと向き合うこと

私が看護の道を選んだのは、「女性であっても自立して生活できる力をつけるべきだ」という母の勧めがきっかけです。はじめから崇高な理念を掲げていたわけではありませんが、全寮制の看護学校で学ぶうちに、「みんなで看護の道を極めるんだ」という熱い思いが育っていきました。そのくせ、卒業後は渡米して英語力をつけることを夢見て、一旦は大病院へ就職するチャンスを蹴ってしまったんです。半年ほどアルバイトをして渡米のチャンスを伺っていましたが、周囲の反対もあり、結局は北九州の病院に就職しました。
看護師として働くからには最前線の仕事がしたいと思い、病院では手術室勤務を希望しました。その当時は、最前線は急性期医療だと思っていたんですね。今は高齢者介護分野の看護も最前線だと思っていますが。急性期医療を担当する部署ですから、主任や先輩たちの指導は厳しくて当たり前。大変な毎日ではありましたが、ここで看護の基礎、原則をしっかり叩き込まれたことは、その後の大きな財産になったと思います。
その後、地元へ戻って自治体病院をいくつか回りました。最初に着任した田舎の町立病院で思い出に残っているのは、「若葉会」という看護部会をつくり、看護職の研修に力を注いだことです。「地方の病院でも都会の病院でも、看護の質は変わらない」という原則を実現するためには、看護職はみんなで学び合うことが必要だ、と思ったことがきっかけでした。

看護職としての技術を高め、キャリアを積むことに熱心だった時期を経て、初めて患者さんへの視線が生まれたのは、地域の中核病院で外科病棟に配属された時かもしれません。そこには末期がんの患者さんも多く入院されており、患者さんの「死」が日常的なものになってきたんです。そんな中、最期の時を迎えようとしている患者さんを医師や看護師が取り囲み、心肺蘇生などの治療を試みる光景に、私は違和感を感じました。最期の時が近づいているのなら、患者さんは家族に囲まれて過ごすことを望むはずなのに、医療行為が優先され、家族は臨終まで病室に入れない状況が当時の常識でしたから。
そんななかで出会ったのが『病院で死ぬということ』という本です。この本で末期がんの患者さんとの向き合い方を学び、「嘘はつかずに、でも側にいてさしあげなければ」と気づきました。患者さんは自分の病状を察していて、自分の問いかけに向き合って欲しかっただけなのに、誰も向き合ってくれないなんて、どんなに辛かったことでしょう。もちろん、がんであることは最後まで明言できませんでしたが、いつも側にいて向き合うことで、患者さんもだんだんと無理な質問はされなくなり、自分の身の上話をされるようになりました。外科病棟での経験は、その後の人生を決定づけたといっても過言ではありません。

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大谷るみ子


大谷るみ子 RUMIKO OTANI 社会福祉法人東翔会 グループホーム


初めて看護講演会を開催

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