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100年のあゆみ~大正期(1912~1926)

慈善事業から社会事業へ

第1次大戦後の社会問題の発生

日本は、第1次世界大戦に参戦、戦勝国となり、さらなる近代化路線を歩むこととなった。しかし、産業の振興を優先した結果、国民の生活は不安定になり生活困窮者が増加、多くの都市労働者は劣悪な労働環境の下、厳しい生活を強いられるようになった。

この時期、今日の民生委員制度の前身となる岡山県の済世顧問制度、大阪府の方面委員制度が創設され、全国各地で防貧のための活動など重要な役割を果たしていくこととなった。

中央慈善協会から社会事業協会へ

社会情勢の変化や労働問題の顕在化のなかで、国の施策は「救貧救助」から「防貧救助」へと見直しが図られる。社会事業行政も内務省社会局に一元化されると、この頃から、「慈善事業」は「社会事業」と呼ばれるようになり、中央慈善協会も社会事業協会へ改称することとなる(その後、大正13年の法人化に伴い中央社会事業協会に改称)。

この時期、協会では、機関誌の月刊化、初の社会事業講習会の開催など、その活動充実に向けた取り組みを進めた。とくに、国による開催が中止され、協会が主催した初の社会事業講習会は、100日間のうちに36科目328時間に及ぶ講義に加え、討論会や施設見学などを盛り込んだ充実した内容であった。こうした従事者の知識向上は、協会の設立当初からの重点目標の一つであった。

関東大震災と救援活動

関東地方1府6県に甚大な被害をもたらした大正12年の関東大震災では、社会事業協会も京橋区内にあった2つの事務所が全焼する被害を受けた。しかし、内務省社会局の一室に仮事務所を設けると、被災状況についての調査活動を開始し、避難者に対する救護活動や全国からの救援物資の分配業務等に取り組んだ。

社会福祉の動きと全国社会福祉協議会の活動

※年表赤字は全国社会福祉協議会関連事項です。

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